品 名 |
ジャイコーン(ジャイアントコーン) (イネ科 トウモロコシ属)
登録商標No.4009545
ジャイコーンは、サンナッツ食品株式会社の登録商標です。
学 名:ZEA MAYS L.
品種名:ペルビアン ホワイト ジャイアントコーン (以下、ジャイアントコ
ーン)
現地名:PARAQAY SARA (ケチャ語で ホワイト ジャイアントコーン の意)
※遺伝子組換えなどはできません。
世界のトウモロコシの原産は南米にあり、あらゆる種類(黄・白・紫等)のトウモロコシが、存在し南米からヨーロッパへ紹介され世界中に広まった。然し、ジャイコーン(ジャイアントコーン)は、ペルー中南部インカ文明の旧都市クスコ(標高3500m)からさらに奥に入ったウルバンバ村(標高2900m)の極く限られた地域でしか生産できず貴重な品種の為、世界に広まらなかった。
|
|
突然ですが、食感が変わりました!!
プロジェクトチームを結成、ジャイコーンの風味を損なうことなくサクっとした食感に改良すべく試行錯誤を行って数年ー。
数々の失敗を乗り越え、ようやく自信をもってお客様にお届けできるまでとなりました。
是非、ご賞味下さい。味はもとより、絶妙な食感にはまることうけあいです。
すでにご購入頂いたお客様には、「食感が良くなった」とのご好評を頂いております。
プロジェクトチーム一同、苦労が報われた思いです。
ですが、この結果に満足することなくさらに美味しい商品をお届けするべく、研究して参りますので今後ともご愛顧の程よろしくお願いいたします。
2018.04 |
INDEX | INDEX
※ このアイコン(タイトル右)が表示されているものはクリックすると記事が表示されます
|
産 地 |
- 1986~9年
ペルー国、クスコ商工会議所、ウルバンバ市長市議より感謝状
-
|
|
|
1986~9年 ペルー国より感謝状 |
1985年 クスコ商工会議所感謝状 |
1986年 ウルバンバ市長市議感謝状 |
▲インデックスへ戻る
|
産 地 と 「クスコ市ウルバンバ地方の街並みの変遷」
-
ジャイコーン(ジャイアントコーン)は、南米ペルー インカ文明の旧都市クスコ(標高3,500m)からさらに奥に入ったウルバンバ地方ウルバンバ川沿いの細長く作られた畑でのみ良品が穫れます。この地域は地元で「聖なる谷」と呼ばれています。また、ウルバンバ川は、アマゾン川の源流で少し下流にはインカ文明の古代遺跡マチュピチュがあります。
ジャイアントコーンの産地クスコの地図
<クリックすると拡大されます>
ペルー・クスコ市ウルバンバ地方の変遷
|
▲インデックスへ戻る
|
近 況 |
- 2016年5月ウルバンバ地方ジャイアントコーン産地≪現地調査≫
-
▲インデックスへ戻る
- 2015年6月ウルバンバ地方ジャイアントコーン産地≪現地調査≫
-
▲インデックスへ戻る
|
収 穫 |
8~9月頃苗植えを行い、4月~5月に乾燥収穫。 |
栽培工程 |
- 栽培工程
-
▲インデックスへ戻る
|
加工処理 |
実のまま乾燥→手で粒をはずす→選別(サイズ分け)→パッキング→船積→日本着 →植物防疫所→検品→営業倉庫(検品) |
効 能 |
ジャイコーン(ジャイアントコーン)は、特に歯ごたえがよく、中高年にとっては脳に刺激を与えストレスの解消に役立つそうです。ビタミンB1.B2が含まれており、疲労回復等に効果があるといわれています。 |
歴 史 |
- 歴史
-
1万2千年前にベーリング海峡を渡り南米大陸にたどり着いたモンゴロイド(黄色人種)による南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸の山岳地帯に発展したアンデス文明が発祥とされており、マヤ文明や、アステカ文明と混同されがちですが、地域や時代が違うため関係ははっきりせず、諸説入り乱れているようです。
紀元前7,500年前ころまでに始まったとされており、放牧中心の生活をおくっていたようです。
ただ文字を持たず、縄の結び目で情報伝達を行っていたとされており、その多くはいまだ謎とされています。
1250年頃クスコを中心にインカ帝国が興り、1438年頃から周辺国を統合拡大していきました。 この時のサパ・インカ(最上位の王)パチャクテク・クシ・ユパンキの元、あのマチュ・ピチュは建設されたとされています。
現在世界で流通している少なくない種類の野菜(諸説あるようですがトマト、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、ピーマン、カボチャなど)が南米原産であり、インカ以降世界に流出されたものが、品種改良されたものです。マチュピチュは、そんな原種を試験する試験農場だとか、王族の避暑地だとか諸説ありますが、クスコの街に現存する精密な(隙間にカミソリ1枚入らない)石垣もインカ文明の高度な技術力を今に残しています。
1526年スペインのフランシスコ・ピサロ兄弟率いる征服者たちが、パナマから南下。インカ帝国にたどり着き黄金を目当てに蹂躙、1572年に最後の皇帝トゥパック・アマルは捕らえられ、クスコで処刑され、インカ帝国は滅亡してしまいました。
その後スペインの圧政にインカの文化は破壊され、時を同じくして流行した天然痘によってインカ文明の残滓は破壊されてしまいました。 |
▲インデックスへ戻る
|
人々と風俗 |
|